2016年 12月 31日
小学校入学前のこと
習い始めてみると、確かにroboには絶対音感が備わっているようで、音の聴き取りが抜群でした。そして、発表会では、音楽にくわしい方に「音がきれいだ。」と言っていただいているらしく、先生は「robo君のファンもいるんですよ。」と言って下さいました。さらに先生には、音楽大学への進学をすすめていただきました。
しかし、残念ながら、roboが「僕は発明家を目指してるからダメなんだ!」と言うので、音大への進学はあきらめざるを得ませんでした。もちろん、ピアニストや作曲家になるということを期待していたわけではありませんが、楽器店で働いたり、調律師になったり、楽器のリペアリング、はたまた楽器職人になれる道が拓けるかもと思ったのです😢
それでも、ピアノを練習することは、得意なことを伸ばすことにもつながりますし、手先の不器用なroboにはもってこいなので、比較的力を入れて練習させています。
ある時、ハリー・ポッターの映画音楽を自分で旋律を聴き取って、学校のピアノで弾いていたら、皆が「すごい!」「モテるよ!」などと口々にほめてくれたそうです🎵
それからこの時期は、感覚統合訓練の一貫として、あちこちのアスレチックに連れて行って、私もroboとのお出掛けを楽しんでいました

私やroboのことを心配してくれている姉がroboのために買ってくれたアップライト・ピアノです🎹

2016年 12月 30日
仕事を辞めてからの日々
仕事を辞めてからも、保育園に通わせることはできたので、集団参加の場も確保できましたし、療育(治療と教育のこと)の必要性も感じていたので、週3日間は保育園、週2日間は地域の障害児通園施設に通わせました。roboは早生まれなので、4才の時に診断を受けた時はすでに年中になっていましたから、通園施設で療育を受けられたのは、年長のたった1年間になってしまいました。私はもっと早く気付いてやれば良かったのに、と悔やむ気持ちがありました。
しかし、「何事も遅すぎることはない。」「今が未来からすれば一番早い。」という言葉通り、roboはみるみる成長し落ち着いていきました。以前は癇癪ばかり起こしていたroboに対して夫は「将来、自分とroboは殺し合うのではないか。」と思っていたらしく、穏やかになってきたroboの姿を見て、「roboをいい子にしてくれてありがとう。」と言ってくれたのでした。
現在のroboの愛読書はハリー・ポッターです📕

2016年 12月 29日
冬休みの受験勉強②
以前は、私がびっちりついていないと、ほとんど一人ではできませんでしたが、秋くらいから急に自分で解こうという姿勢が見られるようになってきましたし、自分で解けるようにもなってきたので、助かります。やっと中学受験に必要なスキルが身についてきたのか、または、脳が時期的にやっと受験問題に対応できる程育ってきたのか、わかりませんが。roboは不器用で(非言語性学習障害?)、文字を覚えるのも一苦労、繰り上がりの計算でまた一苦労、と大変でしたから、本人もよく頑張ってきたと思います✏何度も見学に行って決めた2校の志望校のうち、1校でも受かるといいなと、思います。もし、ダメだったら、以前のサイトで紹介したS学園を2月の末に受ける予定です💦
それにしても、高校受験や大学受験の問題は学校で学習したことの延長線上にあり、その内容をしっかり押さえるだけでも充分入れる学校も多いのですが、中学受験の問題は学校の学習内容からかなりかけ離れていて中学受験用の特別な勉強をしなければ、ほとんどの学校に入れないので大変です。また、中学受験をした経験がなく文系の私には、算数と理科を教えるのに大苦戦を強いられました😅
ニュートン算というニュートンが作って大学の学生に解かせたという特殊算など、roboを教えるための予習に4時間も掛かってしまいました

そして、降ってわいた災難のように、受験させられることになったroboの方は、勉強の合間にはお気に入りのソファ・スペースで「はぁ💨」と一息ついています。

2016年 12月 28日
冬休みの受験勉強①
そこで、家では今までやってきたドリルをひたすらやり続けています📕取り組ませるドリルの数をしぼって、今は各ドリルの3巡目です。しかも、比較的やさしい内容のものを選んで、取り組ませています。その方が本人への負担が軽くなるし、基礎的な部分の定着も良いようです。それに、roboが志望している中学は難関私立どころか中堅私立ですらないので、無理のない範囲で勉強を進めていければ、と思っています。それでも、時々「あ~、僕は発明家なんて目指さなければ良かった😭」(発明家になるために勉強しているらしい!)と弱音を吐く始末です。
roboには発達障害があるため、療育と並行して勉強していかなければならず、運動も遊びも習い事もさせ、なおかつ夕飯前には勉強を終わらせるというスケジュールでやってきましたが、途中そんなやり方では通用しないことに気付き焦りましたが、何とか徐々に合格率を上げることができました。最後に受けた模擬試験では、参考までにと書いておいた中堅進学校までギリギリ合格圏内に入っていたのには驚きました。しかし、中堅私立中学では、与えられる課題も全般的に高く、ある程度なんでも自力でこなせる生徒さんが多くて、先生方の手助けもそこそこになってしまう可能性があります。それでは、地元の公立中学に通うのと変わらなくなってしまうでしょうから、roboに合った学校に通わせたいと思っています🏫
ちなみに、roboのように不器用なお子さんで家庭学習中心に受験される方がもしいらっしゃった場合の参考に、roboが主に使っているドリルを紹介させていただきたいと思います📕😄
算数ー新小学問題集、でる順計算
国語ー新小学問題集、でる順漢字
理科ーでる順理科、できる子図鑑
社会ーでる順社会、できる子図鑑



2016年 12月 28日
発達障害の診断を受けて
しかし、事実は事実なので、現実を受け止めて前に進んでいかなければなりません。こうしているうちにroboはどんどん成長して、あっという間に大人になってしまうことでしょう。
こんな風にわずかながら、冷静さを取り戻し前に向かって進んでいかなければ、と思い始めたのは、診断から1ヶ月が経った頃でした。今のroboの状態では、まともなコミュニケーションも取れないし、何かといっては癇癪を起こして手がつけられなくなるので、将来どこかで働いたり作業所などに通うことだって難しそうです。なんとかして、親亡き後も社会に適応して生きていけるようにしなければならないという思いが湧き起こってきて、ぐずぐずしているわけにはいかないと思ったのです。
私はもともと「障害=不幸」ではないと考えていました。しかし、障害があることで、大きな劣等感を抱いたり希望を失ったりしてしまうことは残念なことだと思っていました。また、障害がもとで、立ち直れない程のいじめにあって、人を信用できなくなったり、自己肯定感が大きく下がってしまったりして、心の健康を損なうだけでなく、大人になっても「どうせ自分なんか。」という思いから、せっかく持っている力を発揮できなくなってしまうことが心配でした。
そこで私は全面的にroboの教育に力を注ごうと決意し、18年間続けた仕事を辞めることにしたのです。20代の頃、途中2年間は、もう少し勉強の続きがしたくなり、休職して地元の国立大学の大学院に通い修士号を取りましたが、その後復帰しやりがいを感じて働いていましたから、退職するかどうかはかなり迷いました。しかし、自分のことより、親としての責任を果たす方が大事だし、その方がきっと後悔しないに違いないと思ったのです。
それで私はroboの診断から半年後に仕事を辞めて、専業主婦となったのでした。
サンタクロースからもらったLEGOを「僕は物を作っているとワクワクするんだ


2016年 12月 28日
roboの診断まで②
それから、私が心配していたのは発語の問題でした。1才半では平均5~6語の発語があるらしいのですが、1才半検診の時には1語も発語はありませんでした。そして、遅いなとは思っていましたが、検診にはひっかかりませんでしたし、1才10カ月で突然「タクシー!」と言い、間もなく「バス!」と言い、2歳になると何語文も話すようになってしまったので、逆に診察の機会が遅れてしまったのです。
でも、考えてみれば、一般的には初め「ママ」とか「パパ」など人間に関する言葉から話し始めるケースが多いところ、「タクシー!」「バス!」からだなんて、いかにもroboらしいし、人より物に興味が強かったのだと思います🚕🚌💧
そして、多少の遅れはあったものの、結局しゃべり出してしまいましたし、おかしいおかしいと思いながらも日々の雑事におわれていたこと、私が主人や母に相談しても、私の気のせいだとかこんなの普通だと言われるので、私も自分の思い過ごしなのかもしれないと思ったりしていたのです。
そんなわけで、何かおかしいと思っていたわりには、精神科診療の予約を入れて実際に診察を受けた時は、すでにroboは4才になってしまっていたのでした。
実は、私はroboをADHDだと思っていました。しかし、診断名は高機能自閉症でした。roboは小さい頃から目が合うとニコッと笑うし、その頃には、日本語はもちろんのこと、少しですが英語まで話していたので、自閉症というのとは少し違うように思いました。しかし、その後、診断名がくつがえされてアスペルガーとADHDになったので、私の見立ては全くの的外れではなかったようです。
告知されたときは、どの方もそうであると思うのですが、覚悟していたとはいえ、私も絶望の淵に突き落とされたような気持ちになりました。roboの未来はどうなってしまうのだろう。明るい未来なんてroboには一つもないのではないか。思い描いていた子育てとは、全く違う方向に転がり始めた毎日はいったいどこに向かっていくのだろう。出口のない暗闇に私達家族は迷い込んでいくような気持ちだったのです。
この続きは次回書かせていただきたいと思います✏
roboが描いたマインクラフトのスティーブンです


2016年 12月 28日
roboの診断まで①
子供好きな私は、まだ子供年だった頃から、年の離れた弟のオムツを替えたりおんぶ紐でおぶって歩いたり、絵本の読み聞かせをしてよく遊んでやっていました。また、親戚の赤ちゃんを面倒見ておこづかいをもらって驚いたりもしたことがありましたから、赤ん坊の世話にはさほど不安はなかったのです。それなのに、実際は今まで抱いてきた子供の面倒を見るという幸福なイメージとはまるで違っていました。
抱き上げても体を反らすし、私があやしてもあまり笑わないのに、メリーメリーを見て嬉しそうに笑っていたりします。人より物に関心が強かったのだと思います。ですから、弟や親戚の赤ちゃんに感じた親密感はほとんど感じられませんでした。
また、4か月半で寝返りをし始めると、どこまでもどこまでも遠くに転がって行ってしまうのです。同じ頃の赤ちゃんはたいていママのそばから離れません。地域の遊び場に連れて行っても、私だけが転がっていくroboを抱き戻す作業を永遠に続けていて、ママ友との会話に参加することはなかなかできませんでした。
当時仕事をしていた私はroboが1才1ヶ月の時、仕事に復帰したのですが、今度は異常なまでの母子分離不安で、保育園に預けるのが毎朝の大仕事でした。私と一緒にいると安心して家の中でも公園やスーパーでもどんどん離れて行ってしまうのに、一緒にいられないとわかると泣きわめいてしがみつくので、保育園の先生にも協力していただいて毎朝大騒ぎでした。
この母子分離不安は極端でしたから、家の中でも私がトイレに入ってしまったりすると大泣きしておいすがって来るので、私が一人でゆっくりトイレに入れるようになったのは、たしかroboが5才くらいになった頃だと思います。
母子分離不安は今でも続いていて、家の中でしばらく私の姿が見えないと探しに来ます。そして、5年生の自然教室までは夜「お母さんに会いた~い😭」と泣いていたそうです。6年生の修学旅行では、初めて泣かなかったと得意そうでした。
ただし、感覚過敏のひどいroboは虫が嫌いで自然教室は苦手なのに対して、日光修学旅行は大好きな歴史がテーマだし、泊まった旅館が快適だったこともありますし、友達との関わりも一緒にお風呂に入ったり部屋でレクをしたりと楽しいことばかりだったから、泣かなかったのかもしれません。しかし、こういう小さい成長が私には嬉しいことです。
さて、1才1ヶ月で保育園に入園したroboでしたが、他にも気になることは色々ありました。この続きは次回に書かせていただきたいと思います✏
クリスマスに沖縄に住む私のおばからもらったLEGOも楽しそうに作っていました。

2016年 12月 28日
S学園の見学
興味を持ったのは、このクラスは理数系に特化したクラスということで、授業のサイトを見たところ、ビッグバン、火星移住、水車、リニアモーターカーなどの話題を取り上げたり、博物館の見学に行ったりと、いかにもroboの好きそうな内容が盛り沢山だったからです。
そして、こちらのクラスへの入学条件はWISC4の言語理解力がIQ130以上とありましたが、roboのようにIQ123だとしても、ADHDなど発達障害のある人は検査で数値が出にくいし、しかも、必ずしもIQだけで判断しないということだったので行ってみました。また、自分の研究テーマが必要ということですが、roboにはロボットの研究というテーマがあります。
ギフテッド・クラスの1日のスケジュールは、午前中、運動と速修(個人の能力に合わせて学年を越えてどんどん進めていく)で、午後は、最先端科学についての授業と自分の研究テーマに取り組む時間です。
今回、roboが体験したのは、最先端科学の授業3コマ、「共進化」「Antimatter」「絶対零度」でした。どの授業も小学校どころか、中学校のレベルもはるかに越えていて、途中、文系(しかも専門は古典文学)の私はちんぷんかんぷんになってしまったくらいでした。正直、実験の意味がよくわからなくて、後でroboに教えてもらったくらいでした。
roboに「授業、難しかった?丁度良かった?」と聞いたところ、「丁度良かった!」と言っていました。やはり、得意なことや興味のあることには、よく集中できるし理解力も高まるようです😄
そして、説明会の内容で印象的だったのは、ギフテッド・クラスのほとんどの子がWISC4の数値のバラツキがroboと同じタイプだということでした。WISC4という知能検査では4つの領域に分けて、IQが示されるのですが、roboもこのクラスの子のほとんども、作業速度という領域の数値が他の領域に比べて低いのです。作業速度が低めだと、実行能力に課題が出てきて、スムーズに物事がこなせなかったり、反復練習などが苦手になってしまうので、知能がある程度高くても、あらゆる面で同学年の子についていけなくなってしまうこともあるのです。実際、2E(発達障害と高知能)の子にはこのタイプが多いようで、こういった子はディスレクシアや算数障害を言語性学習障害と呼ぶのに対して非言語性学習障害と呼ぶそうです。
こうして見ると、もしroboがこのクラスに通わせてもらえるなら、とても合っている気がします。ところが、家から1時間以上掛かってしまうところが難点です。入学試験が2月下旬にもあるそうなので、もし一般の中学がダメだったら受験しようね、とroboとは話しています✨
ところで、S学園はガラス張りのおしゃれな建物の2階にあって、その建物を含めた一画が小さなテーマパークのようになっていて、シックなモニュメントや芝生やベンチのある素敵な空間になっていました。


2016年 12月 27日
roboの夢

私はroboのそんな夢が叶うように応援しようと思っています。でもそれには、精神発達科の主治医S先生曰く、「まずは、大学院まで行って、企業の研究所に勤めること。」ということで、道のりは険しく果てしないものです。
もともと、中学から一般の私立中学への進学をS先生にすすめられたこともあって、私はroboの中学受験を考えるようになったのです。でも、ただでさえ、発達のバランスの悪いroboのことですから、私は受験勉強を最低限にして、習い事の時間や友達と遊ぶ時間をしっかり確保していきたいと思っていました。
しかし、そんな生ぬるいやり方では、当初通わせたいと思っていた学校には初めて受けた模擬試験の結果から、偏差値が全く届いていないということがわかりました😢✏そこで、私はもっと偏差値の低い学校のことを調べてて、roboと見学に行きましたが、どの学校も1学年の在籍人数が4人や7人だったりしたのです。
roboは社会性が低く、将来のことを考えるとある程度の人数がいるクラスの中で経験を積み、様々なことを学ばせたいと私は考えていましたので、とても困ってしまいました。B中学といって1学年の在籍人数が17人とやや多くて、偏差値も第一志望第二志望の学校よりは少し低い学校があったのですが、roboがその学校には行きたくないと言うので、そこはリストから外さざるを得ませんでした。なんでも、模擬試験の会場だったその学校で試験を受けている最中に運動部のもの凄い気合を入れる声が聞こえてきたらしく、自分はこの学校ではやっていけないと思ったとか🏫💧
色々迷った末に、志望校の決定は先送りにして、夏休み中もっと本気で勉強させて、次にある9月の模擬試験の結果を見て決めることにしました。すでに6年生だとはいえ、まだ7月だったし、初めて受けた模擬試験だったので、今後伸びるかもしれないと思ったのです📄
そこで、私は今までの方針を改め、友達と遊ぶ日数を制限し、ADHDの特性なのか勉強中にぼんやりしていることも許さず、スパルタ状態でroboに向かうことになってしまったのです。
私はroboのためとはいえ、可哀想だという思いと、9月の模擬試験で結果を出さなければならないというプレッシャーで慢性的な偏頭痛に悩まされていました

やはり、公立中学に通わせようかと何度も思いましたが、提出物をきちんと出したりノートをきれいに書くといった内申点をとるためのスキルが欠如している上に、感覚過敏でさわいだりするし、風変わりなroboはからかわれたりすることもあるので、公立中学に通わせるのはとても心配でした。
そういった事情で受験勉強をやらせ続けるしかなかったわけですが、9月に受けた模擬試験では、第一志望60%第二志望70%となり、夏休みの努力が形になりました✏😄そして、最後に受けた11月の模擬試験では、第一志望第二志望ともに合格率80%と出て、ひとまず安心しました😌
2016年 12月 27日
roboは受験生
ところが、そんなroboも2年生の後半くらいになるとずいぶん成長し、集団適応能力が多少上がってきた上に、学習面も同学年についていけることがわかってきました。そこで、私は小学校一杯は個別支援級に在籍させて、中学からは一般の私立中学に入学させたいと思うようになりました。
ところが、当時通っていた民間療育機関のスタッフと個別支援級の担任に小学校のうちから一般級に転籍することをすすめられました。そして、すぐに転籍させる自信がなかった私は3年生4年生と準備期間を置いて、5年生から一般級に転籍させたのでした。
転籍してからもうすぐ2年になりますが、roboは1日も学校を休まず楽しく学校に通えています。小さいトラブルはありますが、友達に恵まれて充実した毎日を過ごしています。
しかし、地元の中学は8クラスもあり、しかも教科担任制になれば、事情も変わってくるでしょう。おまけに、roboは小学校の間は元個別支援級の子として大目に見てもらっていたけれど、中学からはそうもいきません。
それで、私はやはりroboを中学受験させることにしました。そして、週1日塾に行くだけであとは私が勉強をみるという形で受験勉強をすすめていきました。でも、不器用なroboは宿題や明日の準備だけで精一杯で、ちゃんと勉強できるのは、土日くらいでした。
それでも、私はroboに中学は難関校どころか中堅校も受けさせる予定はなく、本当にささやかな偏差値の学校を志望していたので、何とかなるとたかをくくっていたのです。通いやすくて面倒見が良く、適度な人数が在籍している学校を何度も見学に行って志望校を決めたのでした。
ところが、今年の7月、初めて中学受験用の模擬試験をroboに受けさせてみて、その結果に愕然としてしまいました


この続きは次回、書かせていただきたいと思います✏
沖縄に住む私のおばがroboにクリスマス・プレゼントを送ってくれました🎁中には、roboの大好きなLEGOと沖縄限定のお菓子が入っていました。

